日本語で言う「ゾーニング」とはそもそも何なのか

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「先鋭化していくオタクたちの『表現』にはついていけなくなった」増田さんが、諦めとともに「『規制やむなしだろうな』という立場」として意見を綴った記事。
私はこれにブクマ&メタブクマをつけ、追記で増田からの返信をいただいた。メタブクマの時点では追記に気づいてなかったので、改めてここで返信、というほどでもないけど所感を書いておきます。

 

日本語における「ゾーニング」の曖昧さ

増田の文章では「ゾーニング」「表現規制」といった言葉が何度も使われているけれど、どうも定義に混乱があるように思えてならない。ブコメでも突っ込まれてるし増田も追記で釈明しているけど、そもそもの問題として、日本語で言う「ゾーニング」はかなり特殊な使われ方をしているんではないか、と思います。

ゾーニング [1] 【zoning】
〔区分する意〕
都市計画や建築プランなどで,空間を用途別に分けて配置すること。
(三省堂 大辞林より)

英語で言うzoningは上記のとおり、主に都市計画などで住宅地域と商業地域を区分したりすることを指します。他にも住宅の間取りや土地の割り振りなど、物理的に場所を区分することがゾーニングと呼ばれており、これは日本語でも一般的にはこちらの意味です。
にも関わらず、日本(のネット)で「ゾーニング」の議論が起きるのはほぼ毎回、表現規制関連の話題。
Wikipediaのゾーニング(曖昧さ回避)のページにある

6.コンテンツの閲覧を年齢別に区分すること(主に成人向けコンテンツを区分することを目的とする。映画の成人指定、ゲームソフトのZ指定など。レイティングとも)

この6番目の記述がネットでよく言われる「ゾーニング」になる。とは言っても、ここにもある通り日本語の「ゾーニング」は「レイティング」の意味で使われていることも多く(後述するけど増田の元記事もこの混同がある)、人によって定義がバラバラで混乱するんだよね(英語のzoningは表現規制関連の話題で日本と同じようには使われていない……という印象があるんだけど、ちゃんと調べてはいない。詳しい人いましたら教えてください)。

 

ネット上で「ゾーニング」は可能か?

一応私なりの定義としては、「ゾーニング」は「主に物理的な場所において区分すること」。本屋で成人指定発行物用に棚を分けたり、暖簾の向こうにAVコーナーを作ったり。だから増田の

モザイクも広義のゾーニングのはずだ。売る場所を分ける、売る相手を身分証などで限定する、表現の一部をモザイクや黒塗りで抑える、そもそもそういう表現を用いない、など、ゾーニングにも各段階が必要になるはずだ。

については、モザイクがゾーニングだという時点で、私とはゾーニングの定義がまったく違っている。私が考えるゾーニングは増田の挙げた例で言うなら、「売る場所を分ける」がそれにあたる。「売る相手を身分証などで限定する」はレイティング。表現内容そのものに手を入れる(モザイク、黒塗り、そもそもそういう表現を用いない)は表現内容への干渉。私が主に反対しているのはこの最後の内容規制。

だから、増田がたとえば性器をモザイク処理することをゾーニングと呼び、「理想としては『ゾーニング>規制』」と書くなら、私から見ればそれはゾーニングと名前を変えただけの内容規制そのものでしかないので、まったく賛同しない。

もしかしたら増田は、「ゾーニング」を「自主的な表現規制」という意味で使ってるのかな。私は「表現規制」という言葉は政府や自治体が表現物に対してなんらかの制限を 「強制的に」行うことと認識している。だから発禁だけでなく、緩やかなゾーニングであれ、守らないと法律や条例によって罰されるならそれも表現規制と考える。

一方で製作者や出版社等が行う自主規制は表現規制とは呼ばない。たとえどんなに厳しい基準が設けられても、業界内の空気で半強制的に行われていても、法律や条例で罰を受けるんでないならばあくまで自主規制(自主規制自体の是非はおいておくとして)。
 

ただしネット以前の時代ならこの物理的隔離で済んだ「ゾーニング」が、ウェブ上では無理なので実質的に年齢制限のレイティングがゾーニングになっているとは思う。アダルトサイトの入り口で18歳以上ですか?と聞かれるあれが、レイティングを兼ねたゾーニングなのかなと。日本語の「ゾーニング」の混乱は、ウェブの非物理的特性が生んだものかもしれない。

 

ところで、ウェブ上でもある程度なら強制的ゾーニングを施すことができなくはない。昔の腐女子がやっていたrobot.txtで検索エンジン回避したりするやつ。あるいはラベリングと言って、ある年齢以下の閲覧者に見せたくないものを自ら申請して、設定済みの端末やブラウザからは見えなくする手段もあった。しかしああいった逆SEOはネット時代のゾーニング手段として生き残ることはなく、むしろ腐女子キメェwwwと嘲笑され、まとめサイトに晒され、ブクマしないでほしいのですと言っても「ネットに境界を設けるな」と正論を唱える人たちに押し切られ、無残にも消え去った。

私がゾーニング賛成派に対して懐疑的なのはそういう腐女子の敗残を目にしていたからという理由もある。個々人が必死にできるだけのゾーニングをしたところで、こんなゾーニングは不十分だと文句を言う人たちはどこまでもどこまでも追ってくる。なら表現物は消えるか、どんなゾーニングも完璧にはできないと開き直って垂れ流すか、どちらかしかない。まあ大多数の表現者は、時たま理不尽な叩きにあいながら、粛々と自分の思うゾーニング基準を順守しているだろうけど。

私はゾーニング賛成派に不信感があるけど、きちんとした議論を経て妥当な、不具合があれば修正・改善していける可塑的な制度としてのゾーニングであれば賛成できるかもしれない。でも小野ほりでいさん言うところの「ゾーニング破り」が正義漢みたいな顔で幅を利かせている状況じゃ、無邪気にゾーニング賛成!なんて言う気になれない。

togech.jp

 

疲れても諦めずに議論をしたいのよ

増田は

規制とゾーニングの話からいきなり「当然モザイクなどの〜」と飛躍するのはどうか。

と言うけど、私が「当然モザイクなど性器修正には反対してるんだよね?」と書いた意味がこれで伝わったでしょうか。飛躍なんかしてないよ。ゾーニングは「このゾーン内ならこの表現してもいいですよ」という形であるべきだから。ゾーニング賛成するのにモザイクみたいな自主規制やらわいせつ規定やらも支持するなんて筋が通らない。

実際、今の日本はこの「ゾーニングした上でモザイクもかける」状況ですよね。AVは暖簾の向こうに隔離されゾーニングされているのに(ついでに年齢確認などのレイティングもある)、作品にはモザイクがかけられている。商業でも同人でも、国内で合法的に修正のない性器を表現できる場はほとんどない。映画『ぼくのエリ』で最も重要なシーンが国内版だけモザイクかけられてて意味不明になってた恨みは忘れない。加えて、日本のゾーニングはほぼエロのみにしか適用されないから、暴力・猟奇描写などの理由でレイティングされている作品(ホラーとかバイオレンスものの映画など)はAVのようには隔離されずにレイティング無しの作品と混じって陳列されている。

こういう状況に異を唱えない時点で、規制には反対だけどゾーニング賛成!と言う人たちを私は信用できないんですよ。 彼らの言うゾーニングは見たくないものを見えにくい場所に押し込めることであり、押し込められたその先でも現状と同じようにモザイクなどの内容規制がまかり通ると考えてるんじゃないかと。増田がそうだとは言わないし、ブコメゾーニング賛成していた人たちの中でも考えは色々あるでしょうが、このあたりを具体的に議論しようとする人って本当に少ない。暖簾での隔離が妥当でない、不十分だ、とかいう議論なら分かる。ならば今後はどう変えていけばいいのか考えればいい。でもゾーニング賛成!と無邪気に言う人たちはとにかく隔離しろって言うばかりの印象がある。コンビニにエロ本置くなはいいとして、子供にも買えてしまう(ように見える)から問題なのか?立ち読みを防げばいいか?表紙が目に入ることが問題か(だとしたらコミックLOなら問題ないか)?

増田はもうとっくに諦めていて、だからこそ規制に賛成せざるを得なくなってしまったんだろうと思う。正直言って気持ちは分かる。まなざし村がどうのと揶揄して遊んでる人たちにはうんざりする。腐女子の自重強制はおかしいと言っておきながら、ジャンルの揉め事やエロ絵が拡散されたりして注目が集まると「これはちょっとどうなの」とか言って私は腐女子だけど良識派なのよ、とでも言いたげな人たちにも疑問が尽きない。*1

でもまあ私はもうちょっと考えたい。ゾーニングの設計について具体的で生産的な議論ができるなら、そのほうがいいし。

*1:ゾーニングしろ棲みわけしろと叩くことは自重強制にはあたらないと考えているようで、彼らの言う強制とかゾーニングってどういうものなんだろうと。