でも私は岡村に変わってほしいよ

fuyu.hatenablog.com

矢部さんのアドバイスはありがちなライフハック程度に捉えるのが良いのかなと思う。

矢部が言ってるのは「ライフハック」なんかではないですよ。

発端の発言のせいで岡村のジェンダー観の部分だけでああだこうだ議論されてますが、矢部が言ってるのはそこにとどまらない性格全体の話だし、それがゆくゆくはコンビ活動の今後にも関わってくるという認識なんだと思います。全人格の中でジェンダー観だけが都合よく変わるなんてことはあり得ないし、その意味で認識のアップデートだのと気軽に言うジェンダー界隈の人たちの認識こそ甘いとも言える。

ただそれとは別に、「変える必要はない」には私は同意しない、って記事が以下です。

(※その後fuyu77さんの記事に追記があり、私のメタブを引いて「関係者からしたら変わってくれないと困るというのはありそうかなと思った」とのことでした。以下だいたい同じこと書いてますのでその前提でお願いします)

 

 

まず前提として、「人は変わらない部分を変える必要はない」というのは間違ってはいないです。他人に人間性を変えろと説教する行為それ自体がハラスメントになりうるものだし。

ただ今回の場合、矢部は相方として「性格を変えないかぎりコンビとしての仕事はやっていけない」と宣言した。仕事中は言えるのに仕事外では基本的なありがとう・ごめんなさいも言わない岡村に対し、オンだけでなくオフでも変わってくれないと自分は嫌だと突きつけた。今までは嫌いになりたくないから距離を置き、常識に外れた発言もスルーしてきた。でも限界が来た、ということでの最後通牒がこの放送。

つまりここで「人は変わらない部分を変える必要はない」と岡村が結論するなら、(その結論自体は岡村の自由であり非難されるものでないのは当然として)矢部とのナイナイというコンビは終わりになるということです。矢部は自分がお笑いの世界に誘った側として解散を申し出ることはないが、仮に岡村が解散とは言わないとしても性格を変えないならば、実質的にナイナイというコンビは終わる。リスナーも、岡村がまた今までのような言動をするならナイナイは終わったと見なさなければならなくなる。

「人は変わらない部分を変える必要はない」のはその通りなので、ナイナイがコンビとして今後ほとんどの活動がなくなっても(今もその状態になりつつある)、不仲が今以上に目に入るようになっても、べつに構わないって人も大勢いるでしょう。矢部はそれでは嫌だと思って今回の放送をしたわけですが、強制できるものではないから仕方がない。

 

ただ私はめちゃイケ世代として、そうなってほしくないなと思います。私はナイナイというコンビが好きなので。

 

芸人コンビはよく夫婦に例えられますが、妻の言動が嫌で仕方ない夫が我慢の末に「性格を変えてくれ、でなければ結婚は続けられない」と言ったとして、「いや、変える必要はない。嫌なら離婚すればいい」と助言するかどうか。その夫婦に思い入れがなければ離婚しろになる可能性は高いし(増田の夫婦関係の愚痴にもそういうブクマいっぱいつくよね)、一方で親しい友人夫婦の場合なら「ああ言ってるし努力してみたら」と言うんじゃないでしょうか。妻の言動が常識から外れていたり差別的だったりするなら尚更。

そして、矢部が言っていたのは「他人と向き合え、喧嘩したり喜びあったりするような深い付き合いから逃げるな」ってことですよね。まさに「変える必要はない」の真逆。逃げずに向き合って自分を変えろ、そのために環境を変えろ、と。岡村と向き合うからこそ、矢部は尋常じゃないリスクを承知で今回ラジオに来たわけです。上から目線に聞こえる態度で変われと言ったのはサッカー部の後輩かつ敬語ツッコミの相方という自分の立ち位置をフリにしての演出でしょうし、高圧的だとか一方的だという批判は織り込み済みじゃないかな。私が岡村の友人だったら、ここまでやってくれる相手がいるのに「変える必要はない」とは言えないです。

あと重要なこととして、岡村はそもそも今の状態がだいぶつらいんじゃないでしょうか。風俗通いとか友人の少なさとかのプライベートについては特に、毎日楽しいから変えたくない!と思ってるようには見えない(そう見せたがっているのは分かる)。矢部の環境変えろの助言はそこも見越してるだろうと思うんですよね。

 

以下余談

ここからは余談になるんですけど、岡村の芸人人生ってオフでいられる隙間がほとんどないなあと思います。まずテレビの明るく楽しいキャラがあり、しかもナイナイの真骨頂はロケコント=作り物感をなるべくなくした「本物っぽい」笑い。まるで素の岡村がいつも愉快で、普段から即興コントやってる人間かのように見せる演出。

そしてANNではそんなテレビの岡村とは違った愚痴っぽくて下ネタ大王の岡村を見せる。リスナーはなんとなしに、こっちが本当の岡村のように思えてくる。

今回の放送で暴露されたとおり実際にはANNでも見せていない本当の岡村がその奥にいたわけですが、逃げ癖のある岡村は傷つかないよう素の自分を奥へ奥へと隠し、一方でテレビやラジオでは「これが素ですよ」みたいな顔をし続けてきた。そうじゃないと本当に大事なものまでオンの場に晒されて、笑いにしなきゃいけなくなると岡村は思ったんじゃないかなあ。

たとえばクロちゃんなんかもほぼ全ての生活が日本中に晒されてる芸人の一人ですが、ドッキリであれば芸人側は受け身で済むんですよね。クロちゃんも作ってる部分がないわけではないでしょうが、仮に笑いにならない部分がドッキリで晒されてもクロちゃんのせいにはならない。

岡村の場合は素でない部分を素であるかのように偽装することを余儀なくされているわけだから、「もし本当の素を出したら笑いにならない」という恐怖はものすごかったはず。お笑い界に根強くあるネタ至上主義的価値観も、作り込んだネタがやれないなら素の姿で笑わせろって抑圧になってくる。

今回の矢部の指摘は「オンでもオフでも常識を疑われるような言動はするな」ってことで、ある意味オンオフの垣根を低くして楽にしろ、ただしオフのほうをオンに合わせて行儀よくしろ、って意味かなあと思うんですね。もうオンの自分をオフだと偽らなくていいから、その代わりオフでオンでは絶対しないような失礼をしたりして羽目を外すな、オンをオフと偽ってオフモードで問題発言するな、という。

まあ深読みすぎかもしれないけど、私はまたナイナイ二人揃ったロケコント見たいです。年相応に緩くていいので。今ロケコント見られる番組なんてほぼないけどね……。